功山寺だより


「功山寺便り」第十五号 ││近況報告││

 厳しい寒さも漸く過ぎ去り、日々に春らしさを迎えつつある今日この頃ですが、皆様方におかれましては、ますますご清栄のことと拝察いたします。皆様方のお陰をもちまして、大般若法会(十月三十一日)、護持会主催による写経と坐禅の会(十一月二十九日)、除夜の鐘(十二月三十一日)、初観音(一月十七日)等々の催しはすべて順調に執り行うことができました。以下は功山寺の近況報告です。

一、 昨年度の中国観音霊場会の「合同法要」は、十月二十七日及び二十八日、広島県三原にある、第十二番札所、仏通寺派大本山仏通寺において厳修されました。例年ならば、護摩供養が行われる所ですが、禅宗の仏通寺では護摩だきや山伏作法は行われず、功山寺の大般若供養におけると同様な大般若転読が行われました。

二、山陽花の寺霊場会の第一回目の「合同花法要」が、十一月二十二日、宮島の真言宗御室派大聖院で厳修されました。各宗派の僧侶達が、それぞれ如法に衣体を付けて、十時に宮島グランドホテルを出発して、あいにくの雨天の中を傘をさしながら、法螺師に先導されつつ、厳島神社まで進列し、同神社で『般若心経』を読誦して記念撮影を済ませ、再び雨の中を大聖院まで進列し、観音堂にて『観音経』の普門品偈などを一同で読誦して終わりの運びとなりました。

三、十一月二十日午後七時から八時まで、功山寺境内において、下関商工会議所「城下町長府」伝プロジェクト実行委員会主催、下関市及び下関市教育委員会後援のもとに、 「 night  in 功山寺」が、「志士たちの夢祭」の一環として挙行されました。境内地及び本堂の廊下にもあふれ溢れんばかりの見物客が集い、幕末維新をめぐる音楽劇に感激していました。来る三月二十六日(土)と四月二日(土)の同時刻にも再び当山において同様な音楽劇が行われます。            

四、国宝仏殿の防災防犯工事が昨年三月に完了し、これを記念して本年度一月二十六日午後二時から当山において、消防庁長官久保信保氏と文化庁長官近藤誠一氏のご列席のもとに全国を代表して、大規模な消防演習が行われました。この日は、昭和二十四(一九四九)年一月二十六日に、法隆寺の金堂が焼失したのを忘れないために設けられた、文化財の防火記念日です。

五、昨年夏に崩落した斜面の擁壁工事が着々と進み、三月中には完成すると思われます。

六、山門・書院大改修と開山五百回忌(平成二十六年秋)の記念事業のための募金活動を近々始める予定です。

 例年のように、三月十九日には積善講大施食会を迎えます。できるかぎり沢山の方々がお参り下さるように切に祈っております。

平成二十三年三月吉日
功山寺住職・有福孝岳合掌

檀信徒各位
関係者各位

 


「功山寺便り」第十四号 ││近況報告││

 いよいよ秋冷を感ずる頃となりましたが、皆様方ますますご清栄のことと拝察いたします。功山寺では相変わらず猪が出没し、ミミズほしさに、草を掘り返し、墓地を荒らし、苔などをはがしたりしております。ただ幸いなことに、対策を練っていただいたおかげで、庭園内はいまのところ無事です。この機会に功山寺の近況をご報告させて頂きます。

一、お盆の棚経・地蔵盆・お彼岸

お盆の棚経では、約百八十軒弱の檀信徒の皆様方のご自宅に参らせていただき、大変お世話になり、誠に有り難うございました。おかげさまで、西は福岡市から東は光市にいたるまでの、お盆の棚経も無事終えることができました。
またお盆並びにお彼岸に際しましては、数多くのお供え物やご厚志を頂きまことに有り難うございました。お盆及びお彼岸の期間中に懇ろにご先祖供養の読経を厳修致しましたので、どうぞご安心下さい。
なおまた、八月二十四日には、地蔵盆の法要を執り行うことができました(川端地区の子供会消滅のため、盆踊りは残念ながら中止)。特別に地蔵盆のために供物と浄財を喜捨していただいた方々には感謝の意を表させて頂きます。

二、護持会活動の現状

皆様方の力強いご支援のもとに、昨年来より、環境整備部会、文化事業部会、婦人部会という三つの専門部会が設立され、各部会共に、熱心に活動して頂いております。
環境整備部会では、いろいろな看板・標識の整備、池のモーターの整備、猪問題の諸対策等々多方面にわたって多大なご尽力を頂いております。
文化事業部会では、十月七日に功山寺本寺の廿日市の洞雲寺と厳島神社並びに大聖院に参拝致しました。参加者一同楽しいひとときを過ごしました。また来る十一月二十三日(火)には「坐禅・写経会」が計画されております。
婦人部会では十月二十八日(金)の午前九時から東側斜面の草取りを行います。また十二月二日には、湯本の大寧寺に参拝し、同寺婦人会役員との交流を計画しております。
なおラジオ体操の皆様方にも境内地の整備整頓にご尽力頂きました。

三、功山寺開山金岡用兼大和尚五百回大遠忌(継続的課題)

功山寺の前身、一三二〇年に仏殿が創立された長福寺が、大内義長没後興廃したままになっていたのを、一六〇二年に毛利秀元公が初代長府藩主として入府して以来、長福寺改め笑山寺として再興しましたが、一六五〇年秀元公没後、三代目綱元公が寺号を功山寺と改称して今日に至っています。功山寺三世の三庭龍達さんていりゅうたつは、長福寺を再興するときに、自分の師匠(天翁玄播てんのうげんば)の師匠である金岡用兼きんこうようけんを勧請かんじょう開山として拝請しました。金岡用兼は曹洞宗にとって『正法眼蔵』を書写したり、永平寺を修復したりした偉大な足跡を残しております。平成二十六(二〇一四)年は金岡用兼大和尚の五百回大遠忌の年に当たります。これを記念して山門と書院の大改修を遂行したいと考えています。皆様ご協力のほどよろしくお願いします。

(平成二十二年十月吉日、功山寺住職・有福孝岳記)


「功山寺便り」第十三号 ││近況報告││

 厳しい寒さも漸く過ぎ去り、日々に春らしさを迎えつつある今日この頃ですが、皆様方におかれましては、ますますご清栄のことと拝察いたします。皆様方のお陰をもちまして、大般若法会(十月二十八日)、護持会主催による写経と坐禅の会(十一月二十九日)、除夜の鐘(十二月三十一日)、初観音(一月十七日)等々の催しはすべて順調に執り行うことができました。以下は功山寺の近況報告です。

一、国宝仏殿の防災・防犯工事

 さて昨年の十二月以来、国家予算に基づく国宝仏殿の防災・防犯に関わる諸工事が遂行されている最中です。四十年ぶりの大工事でありますので、時として予期せぬ出来事に見舞われたりしていろいろ心配になることも起こりますが、三月中旬の完成を目指して、一歩一歩着実に前進していると思われます。

一、仏殿の外柵の工事

 今回新たに仏殿の外柵ができあがりました。寺や護持会の財源のことを考えて、二十一年度は市営墓地への登り道に沿った、南側の一面だけの竹柵を作って、他面の柵の完成は今後を待つつもりでおりました。ところがはからずも、坐禅会と護持会に参加されている井上清様が、仏殿の残った北側と東側の二面に、立派な真竹の柵を寄贈して下さいました。同氏の心温まる浄財喜捨の尊い行為に深く感謝する次第であります。

一、山陽路花の寺霊場会

 すでにお知らせ致しましたように、いよいよ平成二十二年四月より、山陽路(広島県、山口県、岡山県)花の寺霊場会が発足します。入会寺院は二四ヶ寺で、当功山寺は第九番札所です。三月四日に設立総会が開かれ、四月四日に祈念法要が厳修されます。功山寺は、このたび、環境整備部会(藤井雅昭部会長)のご尽力によって、新たに仏殿脇の斜面と受処(旧売店)前とに合計十本の石楠花を植樹いたしました。五月頃にはきれいな花を咲かせてくれることを期待しております。ところで花の寺霊場会は、さらに霊場会各寺院に統一花として沙羅の花を考え、さらにその上各百八本の沙羅の木植樹を提案しております。これは大変過酷な要請なので、慎重に考えて結論を出さなければなりません。できれば四季折々に花が咲く寺になるとよいのですが、皆様方のアイデアを求めたく考えております。

 例年のように、三月十九日には積善講大施食会を迎えます。できるかぎり沢山の方々がお参り下さるように切に祈っております。

平成二十二年三月吉日 功山寺住職・有福孝岳

檀信徒各位
関係者各位


「功山寺便り」第十二号 ││近況報告││

 いよいよ秋冷を覚える頃となりましたが、皆様方ますますご清栄のことと拝察いたします。功山寺では昨年来より猪が猛威を振るい、ミミズほしさに、草を掘り返し、墓地を荒らし、苔などをはがしたりして困りはてております。このたびは、以下の三項目についてご報告させて頂きます。

一、お盆の棚経・地蔵盆・お彼岸
お盆の棚経では、約二百軒弱の檀信徒の皆様方のご自宅に参らせていただき、大変お世話になり、誠に有り難うございました。おかげさまで、西は福岡市から東は光市にいたるまでの、お盆の棚経も無事終えることができました。
またお盆並びにお彼岸に際しましては、数多くのお供え物やご厚志を頂きまことに有り難うございました。お盆及びお彼岸の期間中に懇ろにご先祖供養の読経を厳修致しましたので、どうかご安心下さい。
なおまた、八月二十四日には、地蔵盆の法要を執り行うことができました(川端地区の子供会消滅のため、盆踊りは残念ながら中止)。特別に地蔵盆のために供物と浄財を喜捨していただいた方々には感謝の意を表させて頂きます。
なお地蔵堂は瓦が傷んだり、軒板やたるきが破損して崩落の危険がありましたが、このたび松浦恒雄様の多大なるご寄進に依りまして、立派に改修することが出来ました。松浦様の功山寺に対するご法愛に心より感謝申し上げます。

二、護持会活動の現状
皆様方の力強いご支援のもとに、いよいよ本年度より、環境整備部会、文化事業部会、婦人部会という三つの専門部会が設立されました。
環境整備部会では、部会長と副部会長のご尽力のおかげで、倒れた老木の整理や垣根の改修、猪問題の諸対策等々が行われつつあります。
文化事業部会では、阿修羅展見学と雷山観音拝観とを行い、参加者一同楽しいひとときを過ごしました。また来る十一月二十九日には「坐禅・写経会」が計画されております。
婦人部会では毎月第一水曜日の午前十時から住職の仏典講話(目下『般若心経』)と、その後婦人部会独自の会合とを行います。十一月は四日に行います。なお聴講は男女不問ですので、ご興味のある方はどなたでも大歓迎します。

三、功山寺開山金岡用兼大和尚五百回大遠忌
功山寺の前身、一三二〇年に仏殿が創立された長福寺が、大内義長没後興廃したままになっていたのを、一六〇二年に毛利秀元公が初代長府藩主として入府して以来、長福寺改め笑山寺として再興しましたが、一六五〇年秀元公没後、三代目綱元公が寺号を功山寺と改称して今日に至っています。功山寺三世の三庭龍達さんていりゅうたつは、長福寺を再興するときに、自分の師匠(天翁玄播てんのうげんば)の師匠である金岡用兼きんこうようけんを勧請かんじょう開山として拝請しました。金岡用兼は曹洞宗にとって『正法眼蔵』を書写したり、永平寺を修復したりした偉大な足跡を残しております。平成二十六(二〇一四)年は金岡用兼の五百回大遠忌の年に当たります。これを記念して山門と書院の大改修を遂行したいと考えています。皆様ご協力のほどよろしくお願いします。

(平成二十一年十月吉日、功山寺住職・有福孝岳記)


「功山寺便り」第十一号 ││近況報告││

 厳しい寒さも漸く過ぎ去り、日々に春らしさを迎えつつある今日この頃ですが、皆様方におかれましては、ますますご清栄のことと拝察いたします。昨秋の第九号功山寺便り以後のことについて深い感謝の意を表しつつご報告させて頂きます。

一、近況報告

 皆様方のお陰て、大般若法会(十月二十八日)、万灯会(十一月二十三、二十四日)、除夜の鐘(十二月三十一日)、初観音(一月十七日)等々の催しはすべて順調に執り行うことができました。
 営繕修理に関しては、幸いに市の財政援助の下に山門の一部を修理し、護持会からは掲示板二面の寄贈を受け、さらには仏殿の柵を新しく作り直しました。
 なお年末には多くの方々からお供物ご厚志等を頂きまことに有り難うございました。懇ろにご先祖供養の読経を厳修致しましたので、どうかご安心下さい。

一、九州国立博物館バスツアー

 今年の二月十六日(土曜日)には九州国立博物館へのバスツアーを催しました。すでにお知らせいたしましたように、当山玄関脇上に安置されている韋駄天尊立像が同博物館での「京都五山ーー禅文化」展に展示されておりましたので、皆様方にバスツアーを募集いたしましたが、大型バスの定員四十五名を超える参加希望者があったため、若干の方々に断念していただかなければならないほど盛況でした。その上、功山寺の韋駄天様は、九州国立博物館の厚遇を得て、同文化展の展示物の中で最高の人気を博したと、楠井学芸員よりお聴きしました。美智子妃殿下もおっしゃられたように、韋駄天様は本当に端正で素敵なお顔とけなげで凛々しいお姿をされていて、仏像や祖師像などの多くの像の中でもひときわ印象深い存在でした。 なお三月六日には韋駄天様が再び功山寺に帰山されましたのでご安心下さい。

一、仏殿開扉と功山寺秘宝展

 いよいよ来る四月一日より、十一月三十日まで八ヶ月の長きに渉って、国宝仏殿を開扉し、功山寺の秘宝展を開催することになります。仏殿に展示する物は、仏殿の本尊である千手観世音菩薩像、二十八部衆立像二十三体、中国普陀山の戒忍法師より寄贈された聖観音像、檜皮葺き模型、隅木古材等です。この仏殿開扉と同時に、本堂・書院等では、本尊釈迦牟尼仏像、御坐の間、七卿(五卿)潜居の間、七卿都落ちの図、東久世通喜卿揮毫の掛け軸、長府毛利藩第九代藩主匡満公母君写経の『法華経』、桂小五郎(木戸孝允)の木島又兵衛宛書簡等です。
 この企画を成功裏にやり遂げるためには皆様方のご協力が不可欠です。下関市近辺在住の方でお助けいただける方は、別紙のごとき申込書にご担当可能な日時を明記して実行委員会にご提出いただければ幸いです。この企画は長府と功山寺の歴史的文化的価値を訪問者の皆様によりよく知って頂くための絶好の機会です。また三月三十一日午前十時から、この企画の成功を祈念する法要と式典とを行います。

平成二十年三月吉日 功山寺住職・有福孝岳


「功山寺便り」第十号

一、護持会の再建

 すでにご存じのように、皆様方の篤きご賛同を得て功山寺護持会が無事に本年四月に再建されました。そのお陰を持ちまして、本年九月末には、護持会便りの第一号を皆様方にお届けすることができました。ただし、その時点で護持会費を納入済みの方々のみにお送りしましたので、あしからずご了承下さい。いまのところ会員は約三百二十二名(三百)でありますが、功山寺のような古くて広く大きな建築物と境内地を抱えている寺は、更に多くの方々のご援助なしには成り行きません。いつでも入会可能でありますので、今後ともどうかよろしくお願い致します。

二、お盆の棚経・地蔵盆・お彼岸

 お盆の棚経では、約二百軒弱の檀信徒の皆様方のご自宅に参らせていただきま、大変お世話になり、誠に有り難うございました。おかげさまで、西は博多から東は光にいたるまでの、お盆の棚経も無事終えることができました。
 またお盆並びにお彼岸に際しましては、数多くのお供え物やご厚志を頂きまことに有り難うございました。お盆及びお彼岸の期間中に懇ろにご先祖供養の読経を厳修致しましたので、どうかご安心下さい。
 なおまた、八月二十四日には、地蔵盆の法要を執り行うことができました(川端地区の子供会消滅のため、盆踊りは中止)。特別に地蔵盆のために供物と浄財を喜捨していただいた方々には深く感謝の意を表させて頂きます。

三、国宝仏殿の檜皮葺き・地蔵堂の屋根破損に対する応急処置

 本年度は、仏殿の向かって左側裳階の部分の張り替えが終わり、これで裳階の雨だれ部分の修復が完了いたしました。
また地蔵堂の屋根の損傷のために雨漏りがひどかったので、応急処置を致しましたが、軒部分が腐ったままなので、可及的速やかな全面的修理が必要不可欠です。

四、韋駄天立像の国立博物館「京都五山の禅文化展」出展

 すでに皆様方にお知らせいたしましたように、玄関で合掌して皆様方をお迎えしている韋駄天立像は、本年七月三十一日から九月九日まで東京国立博物館での展示会を終えられ、九月二十四日無事当山にお帰りになりました。現皇后陛下美智子様がお像の前で「まあかわいいお顔をしていらっしゃいますね」とおっしゃったそうです。なお来年一月一日から二月二十四日まで九州国立博物館での「京都五山の禅文化展」に韋駄天立像は再び出展されます。

五、仏殿開扉(平成二十年四月から十一月までの八ヶ月間)

 来年度JRが山口県デスティネーションキャンペーンの名の下に、山口県に向けて集中的に観光客を誘致するイベントに対応して、下関市と山口県より、仏殿を四月から十一月までの八ヶ月間開扉するように要請を受けました。しかしながら、このイベントを無事に最後までやり遂げるためには、檀信徒並びに護持会会員のかたがたのご協力を仰がなければ成りません。来る十一月午後二時より当山にて、第二回の準備委員会を開きます。どうかよろしくお願い申し上げます。

(平成十九年十月吉日、功山寺住職・有福孝岳記)


「功山寺便り」第九号 ││近況報告││  

一、近況報告

 日々に秋らしくなってまいりましたが、皆様におかれましてはますますご清栄のことと拝察申し上げます。
 さて皆様ご承知のように、本年八月四日には、小泉純一郎前総理大臣が当山に参詣されました。総門のところでお迎えし、建物の中までご案内致しましたが、その途中においても小泉人気の高さを十分に伺い知ることができました。また、突然井戸の水を飲まれたり、出迎えの人々と気軽に握手をされたり、私との会話などにおいても大変気さくな人柄の一面を見ることができました。
 九月十七日には、長府毛利家第十七代当主毛利元海様が毛利家墓地の土塀とブロック塀が長雨で崩壊した箇所を視察に来られ、修復される予定です。
 なお、十月二十九日から二泊三日で永平寺団参、十一月十一、十二日には国民文化祭の大茶会、紅葉の時節には万灯会が行われます。

二、盆の棚経・地蔵盆・お彼岸

 盆の棚経では、約二百軒弱の檀信徒の皆様方のご自宅に参らせていただきました。暑くお忙しいところをご接待頂き誠に有り難うございました。おかげさまで、西は博多から東は光にいたるまでの、お盆の棚経も無事終えることができました。またお盆に際しましては数多くのお供え物やご厚志を頂きまことに有り難うございました。懇ろにご先祖供養の読経を厳修致しましたので、どうかご安心下さい。
 また、八月二十四日には、地蔵盆の法要並びに盆踊りを執り行うことができました。地蔵盆のために沢山の供物をお供えいただいた方々、浄財を喜捨していただいた方々には深く感謝の意を表させて頂きます。本当に有り難うございました。
 なお、お彼岸にあたりましてもお供物を頂き、浄財を喜捨していただいた方々にも深く感謝の意を表させて頂きます。お彼岸期間中ご先祖の供養の為に懇ろに読経をしておきましたのでご安心ください。

三、国宝仏殿の檜皮葺きの修復

 昨年来、国宝仏殿の、上の屋根からの雨だれが強く当たる部分、すなわち、国宝仏殿の裳階の部分を、仏殿正面、向かって右、後、左の各面の痛みの激しい箇所が張り替えの途中です。他にも修復すべき箇所は山積しております。

四、新責任役員の決定について

 さる六月十四日付けで、正式に責任役員八名が決まりましたので皆様にお知らせします。すなわち、清成一迪(福昌寺住職、法類代表)、吉本英俊(玄空寺住職、末寺代表)、財満史郎、山本義、吉川清、畑耕次、藤井雅昭、尼野一夫の各氏です。そもそも責任役員は、住職があらかじめ選定して、曹洞宗宗務庁に申請し、これに対して宗務庁が、宗務総長(有田恵宗師)の名の下に、責任役員として委嘱して初めて正式に決定するものです。今後、功山寺の運営は、これらの八名の方々と相談しながら行ってまいりますので、あたたかいご支援とご協力の程を切にお願い申し上げます。

平成十八年十月吉日
功山寺住職・有福孝岳


施食会とはどんな意義を持った法要なのか(功山寺便り第八号)

 毎年三月十九日功山寺「積善講」において営まれる施食会は従来までは、お施餓鬼と呼ばれてきた法要であります。では、この施餓鬼会にはどのような意義があるのでしょうか。

 お施餓鬼とは、餓鬼に施しをすることです。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道は迷いの世界とされ、そのうち、地獄・餓鬼・畜生を三悪道といわれます。地獄とは、他を裁き、他を責めずにはおられない世界であり、畜生とは、弱肉強食の、他に迷惑をかけて平気な世界のことであり、餓鬼とは、もっと欲しい、もっと食べたいと常に餓えている欲求不満の世界です。そういう餓鬼に施しをして、法の力で苦しみを抜いてやり、福楽を与えてやるのがお施餓鬼でありまして、その起原はお釈迦様ご在世のころにさかのぼるのであります。

 お釈迦様の十大弟子の一人である阿難尊者がまだ修行中のことであります。ある晩、ひとり静かに坐禅していると、目の前に一ぴきの餓鬼があらわれました。その餓鬼の姿は、骨と皮ばかりにやせおとろえ、髪はボウボウ、眼はくぼみ、口からは火をはく、といったまことに恐ろしい形相の餓鬼(焔口えんく餓鬼)でした。その餓鬼が、「あなたはあと三日のうちに死んで餓鬼道におちますヨ」というのでした。阿難尊者はビックリして、「お前は私の寿命と、私が死んでのち行き着くところまで知っている。それほど知っているなら、どうしたならばもっと生きながらえ、また餓鬼道に落ちないですむかも知っているだろう」とたずねると、「そりゃァ、知ってるとも。われわれ仲間の餓鬼のために飲み物や食べ物を施し、仏に供養してくれたら、あなたの寿命はのび、また餓鬼道におちないでもすむでしょう」と答えました。阿難尊者は困ってしまいました。阿難尊者は、その日その日の食べ物を托鉢して歩く出家の身であって、大勢の餓鬼に施しをするだけの財力がありません。そこで阿難尊者は早速このことを、お釈迦様に告げて救いを求めました。

 お釈迦様は「阿難よ、怖れることはない。私が過去世において婆羅門であった時、観世音菩薩より授けていただいた陀羅尼がある。この陀羅尼は「無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼」といって、この陀羅尼を唱えながら一つまみの食べ物を施すと、それが無量の食べ物にかわって無数の餓鬼を救うことができるのだ」と教えてくださいました。阿難尊者はお釈迦様からその陀羅尼をおききして多くの餓鬼を救うことが出来ました。そうした因縁から、お施餓鬼という供養会が一つの法要儀式としておこなわれるようになったといわれます。

 ところで、お釈迦様の十大弟子の一人目連尊者が餓鬼道におちたお母さんを救った因縁から生れたのはお盆の行事であります。この両者は別々のものなのですが、苦しみ悩んでいる餓鬼の境遇を、仏のお慈悲によって救うという点が一致しておりますので、お盆の行事に併せてお施餓鬼が行われるようになり、しまいにはお盆とお施餓鬼を混同してしまうようになりました。そこでお盆は父母祖先に対する供養であり、お施餓鬼は無縁の精霊に供養する法要です。すなわち、お盆は親孝行、父母祖先への孝行に重点をおいたものであり、施食会は慈悲博愛に重点をおいたもので、今日の言葉でいえば社会の福祉を増進する意味をもっております。

 以上、積善講・施食会法要の深い意味をかみしめられて、まごころをこめてご供養されることを切にお願い致します。

(平成十八年三月吉日、有福孝岳記)

施餓鬼会とはどんな意義を持った法要なのか。

 毎年三月十九日に功山寺で行われる「積善講」とは、いわゆるお施餓鬼の法要であります。このお施餓鬼は曹洞宗ではよくおこなわれる法要ですので、見た眼でどんな法要かは皆様よくご存知のことと思います。そこで、お施餓鬼の意義についてお話し申し上げます。

 お施餓鬼とは読んで字の如く、餓鬼に施しをすることであります。餓鬼といいますと、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上と申しまして、これを六道といいますが、その六道の中で、地獄・餓鬼・畜生を三悪道と申します。その三悪道の真ン中が餓鬼であります。地獄というのは、他を裁き、他を責めずにはおられない世界であります。畜生というのは、弱肉強食の、他に迷惑をかけて平気な世界のことであります。そして餓鬼というのは、もっと欲しい、もっと食べたいと常に餓えている欲求不満の世界であります。そういう餓鬼に施しをして、法の力で苦しみを抜いてやり、福楽を与えてやるのがお施餓鬼でありまして、その起原はお釈迦様ご在世のころにさかのぼるのであります。お釈迦様の十大弟子の一人である阿難尊者(多聞第一)がまだ修行中のことであります。ある晩、ひとり静かに坐禅しておりますと、目の前に一ぴきの餓鬼があらわれました。その餓鬼の姿はと申しますと、骨と皮ばかりにやせおとろえ、髪はボウボウ、眼はくぼみ、口からは火をはく、といったまことに恐ろしい形相の餓鬼でした。口から焔をはきますので焔口えんく餓鬼(焔の口と書いて焔口と発音します)という名前の餓鬼でしたが、その餓鬼が、「あなたはあと三日のうちに死んで餓鬼道におちますヨ」というのでした。阿難尊者はビックリして、「お前は私の寿命と、私が死んでのち行き着くところまで知っている。それほど知っているなら、どうしたならばもっと生きながらえ、また餓鬼道におちないですむかも知っているだろう」とたずねると、「そりゃァ、知ってるとも。われわれ仲間の餓鬼のために飲み物や食べ物を施し、仏に供養してくれたら、あなたの寿命はのび、また餓鬼道におちないでもすむでしょう」と答えました。阿難尊者は困ってしまいました。と申しますのは、阿難尊者は、その日その日の食べ物を托鉢して歩く出家の身であって、大勢の餓鬼に施しをするだけの財力がありません。そこで阿難尊者は早速このことを、お釈迦様に告げて救いを求めました。

 お釈迦様は「阿難よ、怖れることはない。私が過去世において婆羅門であった時、観世音菩薩より授けていただいた陀羅尼がある。この陀羅尼は「無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼(むりょういとくじざいこうみょうかじおんじきだらに)」といって、この陀羅尼を唱えながら一つまみの食べ物を施すと、それが無量の食べ物にかわって無数の餓鬼を救うことができるのだ」と教えてくださいました。阿難尊者はお釈迦様からその陀羅尼をおききして多くの餓鬼を救うことが出来ました。そうした因縁から、お施餓鬼という供養会が一つの法要儀式としておこなわれるようになったといわれます。

 以上申しましたように、お施餓鬼は、阿難尊者が餓鬼を救った因縁から生れたものであります。やはりお釈迦様の十大弟子の一人目連尊者が餓鬼におらたお母さんを救った因縁から生れたのはお盆の行事であります。この両者は以上のように別々のものなのですが、苦しみ悩んでいる餓鬼の境遇を、仏のお慈悲によって救うという点が一致しておりますので、お盆の行事に併せてお施餓鬼がおこなわれるようになり、しまいにはお盆とお施餓鬼を混同してしまう人もあらわれるというようになりました。そこで一と言申し上げますが、お盆は父母祖先に対する供養であります。お施餓鬼は無縁の精霊に供養する法要であります。

 言葉をかえて申しますと、お盆は親孝行、父母祖先への孝行に重点をおいたものでありますし、お施餓鬼は慈悲博愛に重点をおいたもので、今日の言葉でいえば社会の福祉を増進する意味をもっているのであります。

 以上、お施餓鬼の法要儀式の意味をかみしめて、まごころこめてご供養をお願いいたします。


案内状
大般若の法要ご案内

詳しい内容はこちらです。


・般若の智慧とはどんなものでしょうか──「功山寺便り」第七号──

 今回は、日本仏教で最も多くの人に読誦されているお経である般若心経の冒頭の言葉を解説することによって、大般若法会の意義を一考してみたいと存じます。

 さて、「般若心経」の冒頭には、「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊皆空と照見し一切の苦厄を度したまう」とあります。観自在菩薩とはいわゆる観音様のことですが、「観世音菩薩」は鳩摩羅什(三五〇〜四〇九年頃)による旧訳で、「観自在菩薩」は玄奘(六〇二〜六六四)による新訳です。まず「般若」とは、サンスクリットの「プラジュニャー」の音訳であり、「智慧」を意味します。仏教でいう智慧(般若)とは、いわゆる知識でも技術でもなく、根源的な叡智(直観)です。

 私たちが日常生活において用いる認識や判断はたいてい分別知といわれるもので、これをインド人は「ヴィジュニャーナ(識)」と呼びました。しかし、私たちは眠っている時にも息をしているように、意識(分別)する以前にすでに無意識(無分別知)の働きがあります。この無分別知を、インド人は分別知と区別して、特に「般若プラジュニャー(智慧)」と呼びました。人間一人が生きていくためには、大地自然の無限の働きが必要です。私たちはその働きをすべて知っているわけではありませんが、これらの働きによって生かされていることを察知するのもこの般若(智慧)の力です。

 次に、「般若波羅蜜多」の「波羅蜜多」とは、「彼岸に到れること」または「完全に到達せること」を意味します。「彼岸」とは、生死の迷いの世界としての「此岸」を抜け出て到達した悟りの境地としての涅槃の世界です。したがって、「般若波羅蜜多」とは、「智慧」が「悟りの岸に到達すること」すなわち「智慧の完成」です。次には、観自在菩薩が、深い智慧の完成を実践する(深般若波羅蜜多を行ずる)時には、「五蘊皆空と照見し一切の苦厄を度したまう」とあります。五蘊とは、五つの集まり(蘊スカンダ)であり、古代インドの仏教徒は、色(物質的現象)受(感覚)想(想像力)行(意志)識(意識)の五つによってすべての存在が構成されていると考えました。もし、すべての存在(五蘊)が空(無常)であることを看破(照見)すれば、世の中別に怖ろしいことも苦しいこともありません。

 仏教の根本目的は、私たち各人が、お釈迦様(すべての迷いから解放され、迷いから覚め、悟りを完成した、人格円満なる覚者=仏陀)や観世音菩薩の働き(苦しみを抜き、楽しみを与える慈悲の菩薩)を模範として、自己自らの智慧の完成を願うこと以外にないと言っても過言ではありません。このように般若の智慧の働きによって、私たちは不必要な不安と恐怖心を取り除き、心の平安と勇猛心を身につけることができます。これこそ偉大な智慧(摩訶般若=大般若)に他なりません。したがって、大般若経の転読の最後に、般若の智慧の完成によって、「一切の大悪魔の慢心を打ち砕いて、此の世で最も勝れたことを実現するのだ(降伏一切大魔最勝成就ごうぶくいっさいだいまさいしょうじょうじゅ)」と力強い声で唱えるのです。

(平成十七年十月吉日、功山寺住職・有福孝岳記)


II.観音様の働きとその功徳について ―「功山寺便り」六号―

 いわゆる観音経(観世音菩薩普門品)の冒頭で、無尽意むじんに菩薩が、お釈迦様に、観世音菩薩はどういう因縁で観世音菩薩と呼ばれるのですかと尋ねると、お釈迦様は次のように答えられました。「善男子、若し無量百千万億の衆生ありて、もろもろの苦悩を受けんに、この観世音菩薩を聞きて、一心に名みなを称となえば、観世音菩薩、即時に其の音声を観じて皆、解脱することを得しめん」。すなわち、観音様は、そのみ名を称える者に対しては誰でもその者のあらゆる苦悩を救い、その願望をかなえて下さるというのである。しかも、それは、阿弥陀様のように、現実社会を穢土えど(汚れた場所、浄土の反対概念)として否定し、西方十万億土の彼方に極楽を欣求するのではなく、現実を肯定し、苦悩の現実をそのまま楽土とし浄土と化して下さるのである。これほどのあらたかな御利益を得るのに、何の難しいこともない、ただ一心に「南無観世音菩薩」とみ名を称えさえすればよいというのである。この極めて簡潔直截な呼びかけに応じて無量無辺の霊験と利益にあずかれるというところに、古今にわたって、民衆の中に幅広く、かつ深い観音信仰が形成されて今日に及んでいる所以のものがあるといえましょう。

 要するに、お釈迦様は、普門品において、観音様のみ名を称えることによって、衆生は、身体に及ぼす災難としての七難(火難・水難・風難・刀杖難・枷鎖難・怨賊難)を逃れ、心に観音を念ずること(念彼観音力)によって三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)という心の病を離れ、身に礼拝を行うことによって二求両願(福徳・智慧の男子と端正有相の女子を得ること)をかなえることができると懇切丁寧に説かれ、観世音菩薩のみ名を受持し、礼拝供養することを勧めておられるのです。このように、観音様は、苦悩を取り除き、願望をかなえて下さることによって、衆生に、何も畏れる必要がないことを教えて下さっているのであり、それゆえ、観音様はまさしく「施無畏者(無畏を施す者)」なのです。

 ところで、観音様はただ受動的に衆生の悩みを聞き取るだけではなくて、ありとしあらゆる衆生の病因を察知して最も適切な処置をするお医者さんのように、悩める衆生のもとに積極的に近づいていく菩薩です。それを表すものが、三十三身を現じてそれぞれの衆生の苦悩に最適な仕方で、すなわちどんなタイプの人間に対しても、最も適切な時と所を得て対処する観音様の働きです。しかしながら、衆生の数も、その悩みの数も三十三で尽きるものではありません。だからこそ、千の手(眼)や十一の顔(十一面)をもつ観音様のみならず、その他多種多様な観音様が存在します。

 ちなみに、功山寺の国宝仏殿の本尊は、他ならぬ千手千眼観音であります。そもそも、千手観音は六道輪廻する諸世界にそれぞれ配置された六観音の一つとして、餓鬼道にあって一切衆生を救済する観音様であります。全身黄金色で二十七面四十十二手の形像ですが、中央の二手を除き左右各二十手は、慈悲を以て一手毎に二十五有(衆生が輪廻する生死界を、二十五に分けたもの)を救うので、四十手に二十五有を乗じて千手となり、毎手に一眼を具すので千眼となることから、千手千眼というのです。これは、観世音菩薩の慈悲広大にして、一切の衆生を済度するのに偉大な働きのあることを形相の上に示したものです。日本で観音信仰の中心的役割を演じたのは、まさしくこの千手千眼観音でありました。

 右に述べたような由緒を持つ千手観音が安置されている功山寺仏殿において観音大祭を毎年五月十七日に営みうる仏恩に感謝せざるを得ません。どうか皆様方の積極的なご参加を心よりお待ちしております。

(平成十七年五月吉日、有福孝岳記)


II.大施食会と積善講について(功山寺便り第五号)

 功山寺では、毎年三月十九日には「積善講・大施食会」が営まれておりますが、この積善講の内容はいわゆる「お施餓鬼」であります。最近では、施餓鬼会を施食会と呼んでおりますが、「施餓鬼」とはそもそもいかなるものでしょうか。

 さて、漢字「餓鬼」のサンスクリット原語「プレタ(preta)」はもともと「死せる者、逝きし者」を意味し、ヒンドゥー教では死後一年たって祖霊の仲間入りをする

 までの死者霊を意味します。その間毎月の供物を捧げる儀礼を怠ると、プレタは「祖霊」とならず、「亡霊」となります。仏教でも死者霊は、閻魔の地獄に行ったり、人に憑(つ)いたり、生者からの供養を受けて望ましい世界に生まれ変わることを願ったりするわけです。これに関連して、中国と日本では、新仏の供養と同時に有縁無縁の三界万霊への供養とが合体して、施餓鬼会の伝統が発展し今日に至っているわけです。

 この死者霊としての餓鬼と並んで重要なのは、六道輪廻の一環としての餓鬼界の住人たる餓鬼の問題です。餓鬼界(餓鬼道)は、地獄界よりも上位、畜生(動物)界よりも下位にあり、生前に嫉妬深かったり、物を惜しんだり、貪ったりした者が赴くところです。餓鬼の悲惨な状況は、特に絵巻物などでは乞食や窮民の姿で描写されていますが、すべては飲食物を得られず飢餓状況にあることが共通です。しかし人間は単に物質的な食べ物だけではなくて、精神的物事にも飢え苦しんでいるのが実状ですので、この世界には多種多様な餓鬼の姿があり得るわけです。

 どうして仏教において施餓鬼会が行われるようになったのかという典拠に関しては以下の二例を挙げておきます。「焔口陀羅尼経(えんこうだらにきょう)」に従うと、焔口餓鬼が阿難に無数の餓鬼や婆羅門に食を施すことを願い出たことで、阿難がお釈迦様に教えを請うと、お釈迦様は一器の食を設け、「無量威徳加持飲食陀羅尼(むりょういとくかじおんじきだらに)」というお経を誦すれば、その食は無量の飲食となり、一切の餓鬼及び婆羅門がこれによって飽満し、苦しみを脱却することができる、とお説きになりました。また「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」に従うと、施餓鬼会を営むと、七世(七世代)前までの父母及び六親(父・母・妻・子・兄・弟)等の倒懸(逆さ吊り)の苦しみを救うことができるとされ、目蓮尊者の救母説話もその一つであり、このようにして、お盆の行持が「孟蘭盆施餓鬼(うらぼんせがき)」として行われるようになりました。

 それではどうして功山寺の大施餓鬼会は特に「積善講」(積善の寄り合い)と呼ばれるのでしょうか。積善とは、善行を積み重ねることを意味しています。昔から「積善の家には必らず余慶よけい有り、積不善(積悪)の家には必らず余殃よおう有り」(『易経』)、すなわち、「善行を積み重ねた家には、その報いとして、子孫にまで及ぶ幸福が授かり、逆に、善くない行為(悪行)を積み重ねた家には、この悪行の報いが子孫にまで及ぶ」と言われて来ました。功山寺の大施餓鬼会は、古来より「積善講」という名称によって、信心深い檀信徒の切なる願いを実現し成就しようとしたものであると考えられます。ちなみに、法事は「積善道場」と言われます。

 残念ながら、社会が混乱し、親子の絆も怪しく成りつつある現在において、私たちは、常に積善に心がけて、少しでも災厄(余殃)を避け、できるだけ福分(余慶)にあやかりたいものであります。そして、こういう願いのもとに「積善講・大施食会」を厳修致しますので、よろしくご理解・ご協力いただければ甚だ幸いでございます。

(平成十七年三月吉日、文責・有福孝岳)


大般若経及び大般若会とはいかなるものか ||「功山寺便り」第四号||

 「大般若経(大般若波羅蜜多経)」とは、もともと釈尊が十六の法会(法座)において説法されたもので、全六百巻、字数五百万から成り立ち、あらゆる仏典中最大のものです。したがって、大般若経典は釈尊の説法の大部分を占めるものであり、大乗経典の中で最も根本的基礎的なもので、一切皆空(すべては空である)等の仏教の中心思想がその中に盛られています。私たち日本人が接している大般若経六百巻は、はじめサンスクリットで書かれたものを、唐の玄奘三蔵(六〇二〜六六四年)が、インドから持ち帰り、四カ年(六六〇〜六六三年)を費やして中国語に翻訳したものです。
玄奘はこの経を鎮護国家(難や乱を鎮め国家を安泰にすること)の妙典、人天(人間界と天上界、すなわち全世界)の大宝としました。そのため、大般若経は、中国や日本では、その意味内容について講説されるよりも、むしろ攘災転過(すべての災いをはらい除くこと)や鎮護国家のために受持頂戴され、あるいは安置供養され、専ら祈祷用として転読されてきました。転読とは、大部の経巻の文字をいちいち読まずに経巻を翻転することによって、全経巻を読誦したことに擬する一つの読誦法です。

 したがって、大般若会または大般若供養法会とは、古くは祝聖(国王の聖寿無窮を祈り祝うこと)・国威宣揚・病気平癒・五穀豊穣・火防等の祈願、現在では家内安全・交通安全・災害防除・諸願成就等の祈願のために、大般若経を転読する一大法会であります。

 なお「般若」とは、サンスクリットのプラジュニャーの音訳であり、「智慧」を意味する言葉です。智慧とは、般若心経の冒頭に、「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊皆空と照見し一切の苦厄を度したまう」とありますように、「一切(五蘊)は皆空である」と看破し、この真実に則って自由自在に行動する力を与えるものです。
大般若経六百巻を大勢のお坊さん達に転読していただくことによって、この般若の智慧の優れた働きにあやかるというのが、大般若供養法会の優れた功徳であります。

(平成十六年十月吉日、功山寺住職・有福孝岳記)


功山寺檀信徒の皆様へ ||功山寺便り 第三号(平成十六年九月吉日)||

 台風一過、暑かった夏も終わり、一段と秋の気配を感じさせる今日この頃となりましたが、檀信徒の皆様方におかれましては、お変わりありませんでしょうか。長らくご無沙汰いたしました失礼をおわびかたがた功山寺の近況をお知らせします。

 恒例のお盆のお勤めがすんで少しほっとしているところですが、昨年の八月以来、寺の実務を執り出してより、すでに一年以上が過ぎ去りました。毎朝の読経、日曜参禅会、葬儀・法事・納骨等のお勤め、功山寺の定例の法要行事、中国観音霊場第十九番札所ならびに曹洞宗格地寺院としての責務、要するに功山寺住職としての広範な責務のすべてを誠心誠意勤めておりますので、ご安心ください。

 ところで、本年度のお盆の棚経等に関しましては、八月九日から十五日の七日間にわたって、下関市内を中心として、西は福岡市から、東は小郡方面まで皆様のご自宅にお参りすることができました。お忙しい時期にお参りしたにもかかわらず、いろいろとお世話になり有り難うございました。棚経の期間中のため皆様とゆっくりお話しできなかったことが残念です。また様々なお供物浄財をお届け頂いた方々にも深く感謝致します。すべての施主の皆様方のご先祖の霊にご供養をさせて頂きましたのでご安堵ください。お盆の行事は、もともとは、お釈迦様の十大弟子の一人で神通第一の目蓮尊者のお母様の苦しみ(倒懸)を救済する儀式から始まったものですが、これに中国の孝道精神や日本の祖霊信仰とが加わって今日の日本独特のお盆行事の風習ができあがったものです。

 また八月二十四日の地蔵盆の法要と盆踊りも心ある方々のご支援によって、成功裏に終えることができました。お参りの方々やご協力頂いた方々に深く感謝いたします。なおまたラジオ体操の有志の方々は自主的に毎朝本堂の縁側を拭いてくださっており、篤志家の方々よりはバケツ、柄杓、書物などの寄贈、種々のお供え等があり、皆様方の功山寺へのご法愛に変わりないことを大変喜んでおります。お寺というものは、檀信徒の皆様のあたたかいご支援なしには成り立ちません。一連の事柄が「雨降って地固まる」ということになれば幸いです。どうか皆様、いつでもお気軽にお寺にお立ち寄りいただき、お茶でも飲んで行ってください。また、十月に入れば、大般若供養(十月二十八日)の案内状をお送りします。

 時節柄、皆様方のご健勝とご自愛とを心よりお祈りしつつ、近況ご報告といたします。不尽。

平成十六年九月吉日
功山寺住職 有福孝岳


功山寺檀信徒各位


観音様について
観音さまとは、どのような仏さまか
  ||功山寺便り 第二号(平成十六年五月吉日)||

 私たちに親しまれている「観音」とは、「観世音」の略称であり、ともにインドの言葉(サンスクリット語)に対する漢訳語であり、鳩摩羅什くまらじゅう(三五〇〜四〇九頃)訳(旧訳)の『妙法蓮華経』には両訳語が使われていますが、鳩摩羅什以前には「光世音」と訳され、隋唐時代(五八一〜九〇七)には「観自在」(新訳)と訳されました。なお、現存のサンスクリット原典によれば、サンスクリット名は「アバロキテシュヴァラ」すなわち、「観察することに自在な」という意味を持っている言葉です。

 ところで、「観音(観世音)」という言葉の由来に関しては、たとえば、インド伝来の妙法蓮華経・観世音菩薩普門品の中に「若し無量百千万億の衆生ありてもろもろの苦悩を受け、この観世音を聞きて、一心に名みなを称となうれば、観世音菩薩は即時に其音声を観じて、皆解脱を得しむ」という一節があります。このように、観音(観世音菩薩)のことは、インドでも広く知られており、他にもいろいろなお経にその名が出ており、たとえば、無量寿経は阿弥陀仏の浄土に観世音・大勢至の二菩薩がおられることを説き、浄土思想においては、この二菩薩は阿弥陀の脇侍きょうじとして礼拝されるようになりました。八十華厳・入法界品にゅうほっかいぼんによれば五十三人の善知識の一人として南インド補陀洛山ポタラカに住むといわれます。大乗菩薩のなかで、智彗の文殊、願行の普賢とともに慈悲の観音(観世音)は最も名高く、インド、中国、日本を通じて広く信仰されています。なお、中国の禅林においては、多く「観音」をもって衆寮[修行僧の居る所]の本尊としたほどでありました。

 要するに、観音とは、限り無い慈悲心をもって一切衆生を救済することを本願とする菩薩です。このように、観音は、「ありとしあらゆるものを救うという誓願(衆生無辺誓願度)」に生きるという大乗仏教の根本精神を体現する菩薩の典型です。自らの悟りを求める(上求菩提じょうぐぼだい)というよりも、先ず他者を救済すること(下化衆生げけしゅじょう)を身を以て実践する姿が、たとえば、観音経では三十三身に化身して一切衆生を救済すると説かれています。その救済活動や衆生済度の働きの自由自在さ・多様さ・活発さ・力強さ・見事さ・巧みさ・慈悲深さなどを表現すべく、いろいろな名前(千手千眼・十一面・聖・白衣・馬頭・水月・楊柳・魚籃等々)が与えられています。

 さて、観世音菩薩は、衆生が観世音菩薩の名を称える声を聞いて、彼らの苦悩を取り除いてくれる仏さまですから、世間の人々が苦しんでいるという状況すべてが、観世音菩薩にとってはすでに活躍の機会であり場所であります。それぐらい、いかなる些細な苦しみでも嗅ぎつけ、いついかなるときでも、どんなに遠いところでも、どんな衆生のところでも、救済のためには、手間暇かけずにたちどころにとんでいくことができるような神通力・積極性・勇気・やさしさなどを持ち合わさなければ、観世音菩薩の面目躍如ということにはならないでしょう。
 私たち自身もこうした観音様のご慈悲にすがることができるように、観音信仰に目覚め、自らを高めて行きたいものです。

(文責・有福孝岳)


檀信徒のみなさまへ
  
||功山寺便り 第一号(平成十五年十月吉日)||

檀信徒のみなさまへ

 謹啓 日々刻々秋が深まり行く今日この頃でございますが、みなさまますますご清栄のことと拝察致します。去る八月一日に功山寺に住み込んでより、夢中で功山寺に関わる対内的ならびに対外的な仕事を遂行することに専心して参りました。本年度の盆の棚経も、幸いに昨年度とほぼ同規模にお勤めすることができました。また去る八月二十四日の地蔵盆の行事も、心ある方々のご協力のもとに無事執り行うことができました。これらもひとえに日頃よりの檀信徒の皆様方の功山寺に対するご法愛の賜であると深く感謝いたしております。毎朝のお勤めから始まって、中国観音霊場の納経、参詣の方々との対話、法話・葬式・法事などの諸行事、要するに功山寺として果たすべき諸責務を一心不乱に遂行してまいりましたが、あっという間に二ヶ月がすぎました。はやく檀信徒の皆様方に功山寺帰山のご挨拶をいたしたいと念願しておりましたが、今日までおくれましたことをお許しください。
 ところで、来る十月二十八日には、例年通り大般若供養ならびに塔婆供養の一大法会を執り行いますので、みなさまこぞってご参詣ください。家内安全・無病息災等の祈願ならびに戒名・先祖・諸霊位等の供養をお申し込みになられるようにご案内申し上げます。なお、いまだに護持会の名簿が寺には返却されていませんので、私たちが手探りで作成した約二百名の方々の棚経名簿をたよりにご案内を申し上げることしかできません。したがって、せっかくご供養を希望しておられてもご案内を差し上げられていない方々もおられると推察されますので、どうかそういうご供養を希望されている方々が周りにおられる場合には是非ともこの挨拶状と案内状のことをお知らせくださると、はなはだうれしく存じます。
これから新しい功山寺僧伽を築き上げていきたく思いますので、どうかこれまで同様の愛山護法のほどをせつにお願い申し上げます。時節柄ご自愛ご健勝のほどを心からお祈りします。

敬具


平成十五年十月吉日 
功山寺住職 有福孝岳


功山寺檀信徒のみなさま
各位